成田真由美は結婚して子供はいるの?パラ水泳選手wiki風プロフィール

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パラリンピック競泳選手の成田真由美選手。東京パラリンピックで6回のパラリンピック出場をしているパラリンピック競泳のレジェンド的存在です。そんな成田真由美選手のプライベートに迫ります!




成田真由美さんのwiki風プロフィール

成田 真由美(なりたまゆみ)
1970.08.27生まれ
出身地:神奈川県川崎市
身長174センチ
体重:55Kg
血液型B型
所属:横浜サクラスイミングスクール
2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事としても活躍。

成田真由美さんは結婚してる?子供はいる?

成田真由美選手は2001年5月に一般男性と結婚しました。
成田真由美選手が使用している車椅子を製作している福祉機器メーカーに勤めている男性だそうです。

現在50歳の成田真由美選手ですが、2000年に行われたシドニーパラリンピックの時に「出産することが目標」と語っていましたが、お子さんがいるという情報はありませんでした。
過去には子宮筋腫など様々な症状で入退院を繰り返していたようなので、ご自分の体調などを考慮し、お子さんを生む選択をしなかったのかもしれません。




成田真由美はどんな障がいがあるの?


成田真由美選手は明るくクラス委員を務める活発な幼少期を過ごしていました。
中学1年生の時に受けた膝の手術で、手術をした箇所からばい菌が入り、横断性脊髄炎を発症し下半身不随となりました。
横断性脊髄炎とは、脊髄の一部が横方向にわたって炎症を起こす神経障害だそうです。
ほとんど障害を残さず完治する患者もいますが、一部の患者は日常生活に支障をきたすほどの障害が残る場合もあります。

水泳をはじめたきっかけは?

幼少時代から様々なスポーツに精通していた成田真由美選手ですが、意外にも水泳だけは苦手だったそうです。
いわゆるカナヅチ。
そんな成田真由美選手はなぜ水泳を始めたのでしょうか?
脊髄炎を患い車椅子生活を余儀なくされ、その生活にも慣れてきたころから元々のスポーツ好きな性格から、様々なスポーツに挑戦します。
22歳のころにはチェアースキー、その後も車椅子バスケットボールや陸上などチャレンジしてきました。
その頃。同じ身体障がい者スポーツクラブに通う仲間から水泳大会のリレーに誘われます。リレーの出場選手が足りないという理由から、23歳で水泳を始めました。




普段のお仕事は?

平成8年から日本テレビの委託社員として働いていらっしゃいます。
主に在宅モニターとして、自宅にて週に5~6本ほどの日本テレビの番組を視聴し、感想や指摘、意見を文章にして提出するそうです。

成田真由美 中学校はどこ?

成田真由美選手の出身中学は公表されておりませんでした。
中学では陸上部に入部しましたが、背が高かったためバスケ部に転部しました。
しかし入学後まもなく横断性脊髄炎を発症したため、中学時代はほとんど病院生活を送っていたそうです。

成田真由美 高校はどこ?

中学校と同じく高校も公表されておりませんでしたが、1年遅れで高校へ入学し県立高校卒業とのことですので、地元の高校出身だったのではないかと
思われます。
大学:放送大学

成田真由美さんの主な戦績

あまりの強さから「水の女王」と呼ばれています!
もう「金メダル」のオンパレードです!まさに向かうところ敵なしでしたね!
一旦競技を退きましたが、2016年のリオデジャネイロ大会で復活。東京パラリンピック2020でもメダルの期待がかかります。

1996年
アトランタパラリンピック(初出場)
女子50m自由形(S4):優勝(44秒47、世界新)
女子100m自由形(S4):優勝(1分36秒23、世界新)

2000年
シドニーパラリンピック(閉会式で旗手を務める)
女子50m自由形(S4):優勝(39秒23、世界新)
女子100m自由形(S4):優勝(1分30秒06、世界新)
女子200m自由形(S4):優勝(3分12秒79、世界新)
女子50m背泳ぎ(S4):優勝(50秒38、大会新)

2004年
アテネパラリンピック(参加選手中で最多の8個のメダル獲得)
女子50m自由形(S4):優勝(39秒22、世界新)
女子100m自由形(S4):優勝(1分25秒07、世界新)
女子200m自由形(S4):優勝(3分02秒00、世界新)
女子50m背泳ぎ(S4):優勝(49秒54、大会新)
女子50m平泳ぎ(SB3):優勝(56秒20、世界新)
引用:ウィキペディア

成田真由美さんのまとめ

パラリンピック界の生ける伝説!とにかく世界中のパラアスリートが尊敬する成田さん。
50歳を過ぎてなお第一線で活躍です。
東京パラリンピックでもさらなる活躍に期待ですね!